明治・大正・昭和”””この三世代特に大正の人て...いつも思うんですが、 真ん中でしょ””Mの人にこき使われ...Sに気ずかいして””相でもない人いてますが、この世代の女性は苦労してきたんじゃないかなと思ってます.
亡くなられた同窓生のお母さんの『歩いた道』文面読まして貰って思いましたね、
徳島県の端でほぼ高知寄りで、小さいころ毎年夏休みは預けられてましたね、其処まで行くまでが大変でした、高松?〜蒸気機関車でしたね、トンネルに入ると窓閉めないと凄い煙と音なんで...其処からバスで走るんです、其れもジャングルみたいな山越えしてですね〜母の里..鞆浦(トモウラ)なのでバス降りてからトンネル歩いて山越えでしたね、子供心に母は偉い所で育ったヤナ!(思いました) 同級生のお母さんはS子さんで話します...S子さんは浅川村で...田舎なので鞆浦とは隣村なんでしょうね、
港のあるどちらも同じ漁師町の漁村ですね、 此の年なってホント...海あり山あり河あり良い所やなあと思います、
夕方には川に竹ずつに餌入れて置き、岩場に棒切れに針餌付けて掘りこんでおいて朝引き上げに行ったら、ウナギが捕れるんです、 でも...ウナギ食べた覚えわ無いですね、朝からマグロでタイの作りでみそ汁と御飯です、 普通赤飯に塩ですよね?...僕は砂糖なんです、多分此処から習慣になったんじゃないかな””” |
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